高樹蓉子の半生

             
                   「狼無頼控(6回目)」より
目次

女優になるまで
日活時代
フリーの時代

高樹容子は高樹蓉子
新倉事務所について


女優になるまで

今のところ高樹蓉子の半生については映画人名事典女優編(キネマ旬報)等で少し述べられているだけなため、わからない点が多い。一応概略を述べると、

本名  :粟崎曄子(あわさきようこ)(苗字は結婚前)

生誕地 :東京都千代田区神田(梶芽衣子と同じ)

生年月日:1949823

身長は162cm(一説には165cm)、体重は47kg
生まれは東京都内で、小学校と中学校ではクラシックバレーをしていた。結構運動神経の良い少女だった。

高校は京王線の笹塚にある私立の女子高の富士見丘高校(横浜にも同じ富士見丘高校があるがそれとは別)を卒業したことから判断すると、かなり良い家庭環境だったと思われる。(富士見丘高校には中学校もあるが高樹蓉子がそこへ行っていたかは不明)同じ高校では
1年先輩でミスエールフランスになり、後に女優、歌手になった杉本マチ子がいた。杉本マチ子の出演作品の中で私の見たのは「仮面ライダー」や「プレイガール」(怪奇スリラー・呪いの森に埋められた女)。さすがミスエールフランスに選ばれるだけあって、きれいな顔立ちが印象的だった。彼女はミスエールフランスに選ばれた関係で松竹に所属していたことがあり、偶然にも同じ所属の尾崎奈々とは生年月日が同じ。今のところ私の調べた範囲内では杉本マチ子と高樹蓉子との共演は無かった。最も高樹蓉子は杉本マチ子がミスエールフランスに選ばれたので知ってはいただろうが、杉本マチ子が富士見丘高校の1年後輩である高樹蓉子を知っていたかどうかは不明。

68年3月に富士見丘高校卒業。女優になりたかったかどうかわからないが、同年4月に東映の本社総務部のオペレータとして入社している。そこでは当然映画関係者が良く出入りしているわけであるから、入社して2,3ヶ月で脚本家の宮内婦貴子に見初められ、勧められて日活へ女優として入社した。

        
           
日活時代

映画作品の詳細は「高樹蓉子の映画作品集」へ
主なテレビ作品の詳細は「高樹蓉子の主なテレビの作品集」へ


1968年の女優のニューフェイス9人(撮影は1968年6月15日で場所は日活ホテル)
左端が高樹蓉子ちなみに左から3人目が丘みつ子、右から2人目が牧まさみそのほかは不明

高樹蓉子の日活在籍期間は19686月から19728月までで、同期で入社したのは私が知っている範囲では丘みつ子、牧まさみだった。他の女優は不明。日活時代に映画は全部で28本出演した(内1本は松竹)。その内、私は18作品について今まで見てきた。(高樹蓉子の映画作品集」参照)

その中で比較的多く彼女の出演が見られるのはポスターなどに「新人」と明記された5作品(1作品は見たこと無いので良くわからないが)である。その中でも彼女の代表作はあしたのジョーあるいは怪談昇り竜(私は彼女の表情が非常に良く出ている怪談昇り竜が好きだが)である。それ以外は今のところ私の見た範囲内では長い時間の出演は無く、特に69年あたりは端役が多かった様だ。(「私が棄てた女」は彼女がどこに出演しているか何回見てもわからなかった)

19706月〜7月は彼女にとって日活女優として最高の時で、6月にインドネシアで行われたアジア映画祭に日活の代表として出席している。

高樹蓉子の場合、新人が明記されている作品でビデオになったものが5作品中4作品残されている。このように多くビデオに残された新人明記の女優はなかなかいないのではないかと思う。しかも新人明記が692月、3月、9月、706月、7月に渡ってあるのも他の女優と比べても異例だったと思う。多分、しばらく映画に離れていたこと、出演していた映画が端役だったことが原因だと思われる。

日活としては高樹蓉子を吉永小百合、松原智恵子などのような青春映画に出演する清純派女優にさせたかったようだ。


ちなみに、1971年のダイニチ映配の正月の広告には大映の女優と日活の女優が着物姿で、羽子板を持ち、7人ずつ写っている。(下の写真)(撮影は1970年11月3日に東京プリンスホテルで)高樹蓉子は一番端ではあるが写っている。日活で写っていた女優は中央右側から松原智恵子、和泉雅子、山本陽子、梶芽衣子、丘みつ子、夏純子、そして高樹蓉子だった。一方大映は東京大映所属の女優だけだったようで、川崎あかねの姿は無かった。年齢的には大映の方が平均で5歳くらい低いようだ。

     ダイニチの正月写真(右端が高樹蓉子)

彼女自身の71年当時の役者への望みが1月1日に特集された5大邦画新春新人女優の新聞記事に述べられていた。その中で、「どんな役でもこなせる演技者になることを目標にしている。」と書かれていた(これがレインボーマンへ出演するきっかけとなったと言えなくもないが)。
ちなみにこの記事に載っていた新人女優は東宝が吉沢京子、松竹が小川ひろみ(高樹蓉子とは「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」で共演している)、東映が小山陽子、大映が松坂慶子だった。

 彼女の映画の出演には68年を除いて69年から映画にたくさん出演している時期とそうでない時期とはっきり分かれていた。映画に集中していた時期は69年1月〜4月、70年6月〜711月である。その他の時期は予測になるが、テレビに出演していたと思われる。

 彼女が日活時代に出演した最大のテレビ作品は「美しきチャレンジャーの松木幸恵だろう(これは国際放映が製作していたが、日活の作品を良く手がけていた長谷部安春監督が2回分担当している)

 日活のB級映画の撮影は71年8月で終わり、その後の映画は専らポルノ映画の方向に進んだが、約1年間は日活のテレビ事業本部に所属していた。しかしながら、松竹映画の「嫉妬」(71年11月)に出演した後、彼女がフリーになるまでは何に出演していたかわからない。ひょっとすると女優を休んでいたのか。そうなると高樹蓉子にとって大事なときに休んでしまったことになる。
最後の日活から与えられた作品はNHK大河ドラマの「新・平家物語」ではないかと思われる。その後はフリーとなる。

        
             「子連れ狼(19回目)」より

フリーの時代


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主なテレビ作品の詳細は「高樹蓉子の主なテレビの作品集」へ


71年の11月から72年の8月くらいまで出演番組があったかどうか不明だが、72年の4月ごろに東京水道橋の後楽園遊園地で、身体障害児たちのためのチャリティーサイン会に出席していた。他にも和泉雅子や日本テレビの笑点で有名な林家木久蔵(現在の木久扇)が出席していた。(下の写真)
      
       左から 和泉雅子、林家木久蔵(現木久扇)、高樹蓉子

728月(もしかすると71年8月)よりフリーとなり、新倉事務所(72年だと三朋プロ)に所属していた(『1975年版 芸能手帳タレント名簿録』より)。フリーになってからは専らテレビに多く出演していた。(映画は73年9月に「日本妖怪伝 サトリ」に出演している)

 私の分かっている範囲内のテレビ出演作品を高樹蓉子の主なテレビの作品集に示した。

 72年末〜74年2月は特に彼女が活躍した年で、この年だけで愛の戦士レインボーマンなどの特撮の悪役から琉球王女(狼無頼控(6回目)」で主役で出演)までバラエティに富んだ役をした。73年前半は悪役もしくは悪役に近い役が多かった。たった1年以内でバラエティに富んだ役をした女優は、今のところ私の見た範囲では見当たらない。普通特撮に出演するとそんなに時代劇にはいい役には就けないが、高樹蓉子の場合、「新・平家物語」に出演した経験がものをいったものと思われる。
というのは「新・平家物語」が放送された時はテレビが開始して20年にあたり、しかも大河ドラマができて10周年の記念すべき番組だった。彼女自身、役名をもらった出演女優の中で五十嵐じゅん、市毛良枝についで3番目に若かった。役名は亀の前。頼朝のめかけで、北条政子に嫉妬を受け、追放される。

74年3
月〜75年は刑事ドラマの「事件狩り(8回目)」、「太陽にほえろ!(113回目)」、NHKの少年ドラマシリーズ「悦ちゃん」、昼の連続ドラマ「怪奇ロマン 君待てども」、「殺さないで!」、時代劇では「子連れ狼(39回目)」や必殺シリーズの「必殺必中仕事屋稼業(9回目)」などに出演している。その後、76年になるまで出演記録が今のところ見当たらない。その理由は予測になるが産休もしくは結婚していたためと思われる。

 96年以降になると、彼女の時間の制約からだと思われるが少年探偵団宇宙鉄人キョーダン「超神ビビューン」、「大鉄人17」、「小さなスーパーマン ガンバロン
などの特撮で多くゲスト出演している。それ以外は「同心部屋御用帳 江戸の旋風」必殺からくり人などに出演していた。しかし、77年6月以降の出演は今のところ確認できていないため、77年中には引退していたと思われる。

結婚は引退前(私の予測では74年だと思われるが)にしたと思われるが、時期は今のところ不明。



高樹容子は高樹蓉子
最後に、番組のクレジットで「高樹容子」と書かれているものがあるが、これは全て「高樹蓉子」の間違いである。他にも「高木蓉子」とか「高木陽子」とかかれる場合もある。ひどいものだと「高橋蓉子」と書かれたものまであった。彼女の場合、かなり名前が間違って書かれている場合が多いように思う。



新倉事務所について
新倉事務所は高樹蓉子がフリーになってから所属していた事務所で、悪役から良役までこなし、独特な雰囲気を持った俳優の加藤嘉が中心だったようだ。72年ごろまでは三朋プロと称していたが、事務所の拡大とともに名前を変更したようだ。事務所は新宿にあったが今はもう無いようだ。

1973年ごろの所属俳優は女優が赤座美代子、河村祐三子、原田あけみなどがいた。
男優が加藤嘉をはじめ、ベテランの多々良純、藤原釜足がおり、他にも「キカイダー」など多くの特撮番組でレギュラー出演されたうえだ峻、住吉正博、山本麟一、根岸一正、佐藤仁哉、平泉征などがいた。

加藤嘉は「怪談 昇り竜」、「太陽にほえろ!(113回目)」で高樹蓉子の父親役として出演し、新倉事務所でも一緒だった事を考えると、やはり女優としての高樹蓉子の父親は加藤嘉だったようだ。

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