女優 西恵子のプロフィール
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                  デビュー当時の西恵子
                      デビュー当時の西恵子

西恵子のプロフィール
本名:西山幸子
出身地:新潟県長岡市
生年月日:1948年12月13日
芸名の由来:
 西:当時性の芸名は漢字1文字が多かった(高樹蓉子の高樹は例外?)。このため、西山の西を芸名にした。
恵子:デビュー作品の「BG、ある19才の日記・あげてよかった!」の役名が敬子より取った。しかしこれでは判りにくいので恵子にした。

生い立ち
新潟県長岡市に生まれ、15歳までそこで暮らし、父親の仕事の都合で東京の世田谷区に引っ越した。高校は宝仙学園高校女子部で、後輩には1年下に東宝の学園ドラマや映画に出演していた高橋厚子、2年下には「アテーションプリーズ」で一躍有名になり、西恵子とは「ワン・ツウ・アタック」で共演し、「愛の戦士レインボーマン」に出演していた皆川妙子がいる。高校時代は北国育ちだったせいかアイススケートに凝っていた。高校卒業後、着物が好きだった関係で、武蔵野ドレスメーカーに入学した。その学校のイベントでモデルをやっていた時、女優にスカウトされた。

日活時代
                 
             デビュー映画の「BG、ある19才の日記・あげてよかった!」

西恵子がスカウトされて吉村事務所に入って約3ヶ月後、昼のドラマと日活映画の主役の両方の話が来た。その当時はまだ映画の方が格が上だったこともあり、「BG、ある19才の日記・あげてよかった!」に出演することになった。
決まった時は撮影開始まで1週間程度しかないため、監督の下で演技の仕方や、セリフの言い方などをしごかれた。これは結構厳しかったが、何とか最後まで撮り終えることができた。この出演は西恵子自身やなことばかりでなく彼女自身好きだった青島幸男と共演することもできたし、当時日活のスターだった和田浩治や二谷英明と共演することができた。「BG、ある19才の日記・あげてよかった!」は西恵子の初作品でもあり、1971年までの日活映画では最後の10代主演映画となった。
また、この映画は丹野雄二監督の初作品でもある。丹野監督と青島幸男とは家族ぐるみの付き合いをしていた関係で、丹野監督初作品には必ず出演するよということで、この映画に飛び入り出演となった。役は若いOLたちに説教をする課長で、青島はこのとき参議院議員に初当選したこともあってノーギャラで出演した。

その後、「喧嘩太郎」のテレビ番組に出演し、エメラルドラインとして西恵子、長谷川澄子、丘みつ子、沖雅也の4人を大いに売り出そうとしたが結局なくなった。

その後は映画作品に書かれている映画に出演しているが、以外に数が少なかった。特に1970年になると出演がめっきり少なくなった。そんなときに昼ドラマの主役の話があった。しかし、当時は映画会社5社協定により許可なく日活以外の番組に出演できなかった。そこで何とか許しを得て昼ドラマに出演することになった。その作品が「続・下町育ち」だった。この出演後、西恵子は日活を退社する。

フリーに
退社後はテレビ作品に主に出演している。初めは「プレイガール」に3回出演し、しばらくしてバレーボールのスポコンドラマの「ワン・ツウ・アタック」や続編の「レッツ・ゴー・ミューヘン」にレギュラー出演する。役は主人公が属するジャガー工業バレー部のキャプテンの早田絹代役で、出演者が女の子ばかりだったため、和気あいあいとして、撮影の合間にはお菓子を食べあっていたとのことだ。しかしバレーボールは慣れていなかったせいもあり、練習はかなりきつかったようだ。不思議なのはなぜ眼鏡をかけていたのか。

1972年になると円谷プロの特撮に出演するようになる。まずは「シルバー仮面」に2回ゲスト出演し、その後西恵子の代表作でもある「ウルトラマンA」にTAC隊員の美川のり子役で1年間出演する。出演が開始してからは南夕子役で出演していた星光子と一緒にいる機会が多かった。星自身は舞台出身で、テレビの出演経験がなく、良い相談役となった。星が「ウルトラマンA」降板ししてからは女性隊員は西恵子1人となり、男子隊員役の人たちと冗談を交えながら和気あいあいと撮影を行っていたようである。しかし、夏の暑い時期に冬と変わらない隊員服を着なければならないことと、特撮とはいえ、かなり危険な場面もあり、体を強打し、失神したこともあったとか。

「ウルトラマンA」が終了後、テレビでは刑事物や時代劇などのゲスト出演をしていた。他にも舞台の公演などにも顔を出されたようである。1975年になると昼の帯ドラマに2本出演した。その中でも「女の日時計」はいいところのお嬢さん役で、ゴルフをこのとき初めて習ったそうである。それがきっかけで結婚され、女優を引退された。
最後の作品は「伝七捕物帳」(1976年)だと思われる。


現在は喫茶店の「蕃」を夫婦で経営されている(西恵子は日本橋店で見かける)。

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