霧立はるみ(HARUMI KIRITATI)のプロフィール




 


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 霧立はるみの映画の作品集  霧立はるみのテレビの作品集

目次
生い立ち
宝塚時代

大映時代(1963年〜1964年)
フリー女優として(1964年〜1970年)
女優引退後

         
          「特別機動捜査隊」での霧立はるみ

生い立ち
 生年月日は1942年8月25日で、本名は北竹治美(旧姓)。母親は宝塚歌劇団出身で戦前、戦後と映画女優で活躍した霧立のぼる。父親も俳優をしていた。母親は女優の仕事で忙しく、母親側の祖母に育てられている。中学は東洋英和女学院を出、卒業後すぐに母親と同じ宝塚音楽学校に入学する。
         
         宝塚歌劇団1年目のころ。母親の霧立のぼる(左)と

宝塚時代
宝塚音楽学校に入学した霧立はるみは同期に「愛の戦士レインボーマン」でダイアナ役をしていた山吹まゆみ、後に萬屋錦之介の奥さんになる甲にしき、高樹蓉子と「新・平家物語」で共演し、本郷功次郎と結婚した古城都、上月晃がいた。音楽学校時代は良く外食するとき付けで食べ、母親がたまに宝塚に来た時払わせたことがあるそうだ。たまに母親が大阪などで舞台公演に出演した時などはホテルで一緒に泊まろうと母親が言ったところ、霧立はるみは明日練習があるからダメと断っている。
  
宝塚1年目のころ(左)と3年目のころ(右)

宝塚音楽学校を1960年3月に卒業後、宝塚歌劇団に入るが、霧立はるみ自身当時では163cmと背が高かったため、男役でデビューする。芸名は母親の芸名を一部もらい、男役だったため、霧立みつるにした。研究生1年目の後、彼女は山吹まゆみと同じく花組に入る。

花組入って2年目の1963年になぜか退団する。その後、画家の岩田専太郎の秘書を半年し、1964年4月に大映に入社する。
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大映時代
大映に入社した霧立はるみは芸名を宝塚時代の霧立みつるから霧立はるみに変更した。彼女は大映で期待されていた女優さんで、映画第1作目から「17歳の娘」で高田美和と共に主演する。その後も映画でいくつか主演するが、1965年11月の「大怪獣ガメラ」第1作で主人公の秘書役で出演後、大映を退社する。
          
          「大怪獣ガメラ」で船越英二(左)と

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フリー女優として
フリーになってからはほとんどテレビに出演し、「大岡政談」では親子で出演し、「平四郎危機一髪」、「特別機動捜査隊」などに出演して、1970年ごろに引退したと思われる。
   
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女優引退後
引退後も母親と一緒に暮らしていたと思われるが、1972年に彼女が渡米中に母親が死亡した。1973年には結婚して完全に芸能界から去った。



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